みな皆くる来る雑記帳

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野口五郎のプロフィールは?ごごナマは?テイクアウトライブについても!

 

野口五郎のプロフィールは?


1970年代にトップ男性アイドル歌手として人気を博し活躍した新御三家(しんごさんけ)は,郷ひろみ西城秀樹野口五郎の3人(ビッグスリー)でした。3人は同学年でデビューもほぼ同時期のライバル同士でした。

 

ここでは野口五郎さんに焦点を当ててプロフィールを紹介します。

 

野口五郎さんは1956年2月23日生まれの63歳ですが,お顔を見れば,とても63歳には見えない若々しさを保ってあります。

 

野口五郎さんと言えば,デビュー前の1967年(昭和42年)3月,11歳の時に荒木一郎の「今夜は踊ろう」を歌って「ちびっこのど自慢」で優勝したことが人生の転機で,1969年 (昭和44年)6月には本格的に歌の勉強をして歌手になるために岐阜県美濃市から東京浅草の伯父さんの家に引っ越しました。

 

「友情の花束」という曲でデビューする予定でしたが,運が悪いというかタイミングが悪かったというかその時期は野口五郎さんの変声期に重なり,デビュー予定に作られた曲の声を出すことができなくなってしまったわけです。

 

そのため,野口五郎さんは13歳でのデビューを見合わさざる得ない状況となり,15歳でデビューするまでの約2年間は,脇でダンスをしたりギターを弾いたりと変声期が安定するまで堪え忍ばなくてはならなくなりました。

 

しかし,昭和46年の5月1日発売「博多みれん」という演歌で遂にはデビューすることになり輝かしい一歩を踏み出したわけですが,残念なことに「博多みれん」はパットせずに売れず,デビューしてから約3カ月間は「売れない歌手」といった屈辱的な期間となりました。

 

その後,3ヶ月後に次の曲,青いリンゴが出されると,「博多みれん」とは違い順調に売れるようになり,アイドルの道につながる出発をすることになったわけです。

 

それから約50年,野口五郎さんは,ただ歌手として活動するだけでなく,曲を作ったり歌手をプロデュースさせたりと音楽家の幅を拡げ,今日に至りました。

 

野口五郎さんは,広報活動としてかどうかは別にして情報発信をされています。公式ホームページ,オフィシャルブログ,ツイッター,オフィシャルフェイスブックと多く活用されていますが,いずれもほどよく更新作業をされていてそつがありません。野口五郎さんの歌手活動やその他の音楽活動を充実されるための気持ちが更新作業を小まめに続けさせているのであろうと思われます。

 

野口五郎 公式ホームページはココからご覧になって下さい。

野口五郎 オフィシャルブログはココからご覧になって下さい。

野口五郎 ツイッターココからご覧になって下さい。

野口五郎 オフィシャルフェイスブックココからご覧になって下さい。

 

 

 

野口五郎ごごナマは?


11月12日火曜日のごごナマで,野口五郎さんが出演されました。

 

放送の中で語られたことの一つは,知らぬ間に住まいが変わっていたということです。どういうことかというと,撮影終了後に家に帰る時,向かってる方向が自分が住んでいる家の方向と違うのでマネージャーに尋ねてみると,家を引っ越したので,進んでいる方向は間違いないということでした。要するに,ファンなどの追っかけを避けるために,家を引っ越したということでした。しかし,野口五郎さんは,家を引っ越したことなど知る由もなく,びっくりしたということです。しかも,このような引っ越しがデビュー以後,8回くらい繰り返されたということですから,まさに驚き以外の何物でもありません。

 

それから,デビューして4,5年後に自宅にコンピュータ付きのシンセサイザーのようなモノを設置したということでした。これは何かというと,自宅で曲作りをするために野口五郎さんが購入されたモノだということでした。野口五郎さんは,かなり早い段階からいろいろな楽器の音を合わせるためにこのモノを使っていたということでした。特にギターのテクニックはかなり凄いということです。現代にいたるまで野口五郎さんが取り組んでこられた曲作りの背景には,デビュー後の数年後から育んできた術があったということがわかりました。

 

また,番組の中では,西城秀樹さんのために曲を1曲作ったことも語られました。
Love Songを永遠に,という曲ですが,これは野口五郎さんが西城秀樹さんからかなり執拗に迫られて作った曲だったそうです。ただ,この曲について野口五郎さんは,どうしてこのような感じの曲になったのか今もわからないということでした。ちなみにどんな歌詞かというと,次の通りの歌詞です。

 

あてもなく さまよい歩く  事がある ひとりぼっちで

目を閉じれば 懐かしさが  こみ上げて 涙が落ちる

生きて行く事が つらいと思った時も  君の笑顔がいつも ささえてくれていたね

だから

I am singing LOVE SONG   And You are singing LOVE SONG

言葉と言葉 重ねあって   身体と身体 触れあうように

心と心 確かめあって    ふたり 誓いあった ラブソング

歌いながら 歩こう

 

理由(わけ)もなく 心ときめく  時がある 「ひとりじゃない」と

耳澄ませば 聞こえてくる    歌がある 貴方の声が

生きている事は とっても素敵な事と  君の瞳が僕に 微笑みかけていたね

だから

I am singing LOVE SONG    And You are singing LOVE SONG

言葉と言葉 重ねあって    身体と身体 触れあうように

心と心 確かめあって     ふたり 誓いあった ラブソング

歌いながら 歩こう


Love Song を永遠にのYouTube版はココから聞いてください。

 

 

ごごナマの最後には,5つの質問がありました。それぞれの回答も含めて紹介します。

 

・毎日欠かさずやっていることはありますか。(イエス

 

これは,デビュー以来ずっと続けてこられたことだそうですが,声帯を使わないで発声練習を行うということです。野口五郎さんがテレビの中で発した声帯を使わないで行う発声練習は,とても不思議な音が出てきました。

 

 

・家族に掟(おきて)がある。(イエス

 

朝,おはようと言う時に必ず,笑って笑顔でおはようということが家族の掟,約束事だそうです。もしできなかったら,ベッドに戻ってそこからやり直しだということです。どんな一日になろうと,朝一番で笑顔でおはようと言うことで,幸せになったり物事がうまくいったりするきっかけになるということでした。

 

 

・子どもたちに歌手になってほしい。(ノー)

 

野口五郎さん曰く(いわく),これからの歌手はこれまでの歌手と違って形態が変わっていくそうで,さらに難しい世界になっていくということです。これまででさえ歌手として生活していくことが大変なのにさらにもっと難しくなっていくと思われる中,お子さんたちに歌手になってほしいとは言えないということでした。それにしても歌手の世界がどのように変わっていくのか注目していかなければなりませんね。

 

 

・ギャグを言うのが大好きである。(イエス

 

特に家族の前でギャグを連発していると野口五郎さんは言ってありますが,あまりにも数が多すぎて,どれがギャグでどれがギャグじゃないか家族がわからなくなっているということでした。番組の中で出すギャグはカットされることが多いそうで,このことについて野口五郎さんはちょっと不満そうな感じでした。

 

 

・デビュー50周年で何か企てていることがある。(イエス

 

何かコンサートの中で企てていることがあるそうですが,具体的にどんなことかははっきり言われませんでした。そういう意味では,今後の野口五郎さんの動向に注意していくしかなさそうな感じがします。

 

 

野口五郎のテイクアウトライブについても!

 

野口五郎さんは,テイクアウトライブというものを発案され,そのシステム全般にわたって特許を取られたということです。

 

テイクアウトライブは,コンサート後にすぐにサービスされるものとして注目を浴びています。その仕組みは,コンサートの秘蔵映像やアーティストのメッセージ,見終わったばかりのライブ映像などを配信するサービスで,QRコード付きのカードを購入するとダウンロードできるというものです。

 

野口五郎さんが特許を取得されているので,この配信サービスを利用する際には野口五郎さんに対する手数料などが発生するでしょうから,ご自身に関する配信サービスだけでなく他のアーティストたちの配信サービスがあれば,1枚につきいくらかが野口五郎さんの手元に入ってくるはずですから,サイドビジネス的な旨味もあるのではないかと思われますが,いかがなものでしょうか?

 

ちなみに,ドリームズ・カム・トゥルーのコンサートで1枚1500円で発売したところ,3か月で1万枚以上販売されたということですから,野口五郎さんにいくら入ってきたのかはわかりませんが,ある意味,何もしないでも手数料が入ってくるということで,ホクホクのサイドビジネスに違いありません。

 

 

野口五郎さんについて紹介しました。野口五郎さんは来年2020年がデビュー50周年だそうです。今後どのような活躍をされるのか注目です。応援していきましょう♪