みな皆くる来る雑記帳

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福岡発!興宗禅寺とは?福岡義士祭は?四十七士は?その他のトリビアも!

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福岡発!興宗禅寺とは?


福岡発!興宗禅寺とは曹洞宗の寺です。


福岡市南区寺塚2-22-11にあります。


境内に昔の古墳を祀っており,通称「穴観音(あなかんのん)」とも言われます。

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穴観音は元々寺塚にあり,福岡藩の第2代藩主黒田忠之がこの観音に祈ったことで拝屋が建てられましたが,後にこの拝屋が壊れたのを受けて,1693(元禄6)年に長円寺の住職湛堂和尚が穴観音を修理し拝屋を再建し,その下に石段を築き,その石段の下に寺を建て,補蛇山興宗禅寺としました。

 

穴観音という言葉は,近隣では固有名詞のようになっていて,交差点やバス停の名前にも穴観音という言葉が使われています。

 

穴観音と呼ばれる理由の中には,黒田長政福岡城を築城する時,古墳の石を石垣に使い,古墳を祀って霊を供養したという説もあります。

 

穴観音の中には,阿弥陀如来と観音,勢至菩薩が彫られ,石壁には仁王があります。

 

また興宗禅寺は,福岡城と秘密の地下道でつながっていたという説があります。

 

昭和の初めまで穴らしきものがあったということですが,それが本当に地下道であったかどうかは定かではありませんが,穴は実際にあったということです。しかしその穴に野犬が住みついて危険であったため,やむなく塞いでしまったという話です。

 

いずれにせよ,興宗禅寺には,古墳の中に観音像が彫られていたり,地下道があったかもしれないという話しが残り,見どころの多いお寺と言えます。

 

 

福岡発!福岡義士祭は?

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興宗禅寺では,毎年,福岡義士祭という催しがあります。

 

福岡義士祭は,「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士の討ち入りの日に当たる12月14日に冥福を祈るために行われます。

 

当日は,墓前で献茶,本堂で冥福を祈る祭典法要,筑前琵琶の演奏,講談があり,境内では陽流抱え大筒という砲術や地元サークルによる舞踏などが披露されます。

 

また,福岡義士祭の名物ともいえる温かい「討ち入りそば」が参拝者たちに振る舞われます。

 

陽流抱え大筒の砲術は,鉢巻,刺子の胴着,袴に胸革を身につけた打ち手が,さらしで左手を砲に結びつけて銃を放ちます。この砲術は,筥崎宮の五月大祭(5月)と興宗禅寺の福岡義士祭(12月)で一般公開されるとても珍しいものです。陽流抱え大筒は,約30キロの重さがあり,橋を壊したり,石垣を目がけたり,城の門を目がけて使われ,ドンというお腹にまで響く音が迫力で,一見の価値が期待されます。

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(日時)12月14日午前10時半~午後3時頃(雨天決行)

(料金)無料

(お問い合わせ)092-511-4231(福岡義士会事務所)

 

この福岡義士祭が興宗禅寺で行われるようになったいきさつは,1935(昭和10)年,福岡市中央区六本松の篤志家(社会奉仕・慈善事業などを熱心に実行・支援する人)・木原善太郎氏が私財を投じ,東京・高輪・泉岳寺と同宗である興宗寺境内に赤穂義士の墳墓を模して建立したことがはじまりです。配列から地形,玉垣まで赤穂浪士たちが祀られる東京高輪泉岳寺のものと同形式のもので,福岡市義士会がこれを期に結成され,それ以降,毎年12月14日に祭典を挙行しています。

 

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福岡発!四十七士は?


福岡発!四十七士は,1702(元禄15)年12月14日に旧主浅野長矩の仇である高家吉良義央の屋敷に討ち入り,吉良義央および家人を殺害した元赤穂藩大石良雄以下47人の武士のことです。

 

興宗禅寺には,四十七士の墓や大石内蔵助の墓も設けてあります。また,浅野内匠頭切腹した血がかかったという血染めの石や吉良の首を洗ったと言われる首洗いの井戸なども再現されています。

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改めて,この四十七士について簡単に確認したいと思います。

 

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)討ち入りの指導者。享年45。

大石主税(おおいしちから)大石良雄の長男。享年16。

原惣右衛門(はらそうえもん)足軽頭。享年56。

片岡源五右衛門(かたおかげんごえもん)側用人・児小姓頭。享年37。

堀部弥兵衛(ほりべやへえ)同志のうち最年長者。享年77。

堀部安兵衛(ほりべやすべえ)馬廻。堀部金丸の婿養子。享年34。

吉田忠左衛門(よしだちゅうざえもん)足軽頭・郡奉行。享年64。

吉田沢右衛門(よしださわえもん)蔵奉行吉田兼亮の長男。享年29。

近松勘六(ちかまつかんろく)馬廻。享年34。

間瀬久太夫(ませきゅうだゆう)大目付。享年63。

間瀬孫九郎(ませまごくろう)間瀬の長男。享年23。

赤埴源蔵(あかばねげんぞう)馬廻。享年35。

潮田又之丞(うしおだまたのじょう)郡奉行,絵図奉行。享年35。

富森助右衛門(とみのもりすけえもん)馬廻・使番。享年34。

不破数右衛門(ふわかずえもん)元馬廻・浜奉行。享年34。

岡野金右衛門(おかのきんえもん)享年24。

小野寺十内(おのでらじゅうない)京都留守居番。享年61。

小野寺幸右衛門(おのでらこうえもん)小野寺の養子。享年28。

木村岡右衛門(きむらおかえもん)馬廻・絵図奉行。享年46。

奥田孫太夫(おくだまごだゆう)武具奉行・江戸定府。享年57。

奥田貞右衛門(おくださだえもん)奥田の養子。享年26。

早水藤左衛門(はやみとうざえもん)馬廻。享年40。

矢田五郎右衛門(やだごろうえもん)馬廻・江戸定府。享年29。

大石瀬左衛門(おおいしせざえもん)馬廻。享年27。

礒貝十郎左衛門(いそがいじゅうろうざえもん)物頭・側用人。享年25。

間喜兵衛(はざまきへえ)勝手方吟味役。享年69。

間十次郎(はざまじゅうじろう)間の長男。享年26。

間新六郎(はざましんろくろう)間の次男。享年24。

中村勘助(なかむらかんすけ)書物役。享年46。

千馬三郎兵衛(せんば(ちば)さぶろべえ)馬廻。享年51。

菅谷半之丞(すがやはんのじょう)馬廻郡代。享年44。

村松喜兵衛(むらまつきへえ)扶持奉行・江戸定府。享年62。

村松三太夫(むらまつさんだゆう)村松の長男。享年27。

倉橋伝助(くらはしでんすけ)扶持奉行・中小姓。享年34。

岡嶋八十右衛門(おかじまやそえもん)札座勘定奉行。享年38。

大高源五(おおたかげんご)金奉行・膳番元方・腰物方。享年32。

矢頭右衛門(やとう(やこうべ)うえもん)享年18。

勝田新左衛門(かつたしんざえもん)札座横目。享年24。

武林唯七(たけばやしただしち)馬廻。享年32。

前原伊助(まえばらいすけ)金奉行・中小姓。享年40。

貝賀弥左衛門(かいがやざえもん)中小姓・蔵奉行。享年54。

杉野十平次(すぎのじゅうへいじ)札座横目。享年28。

神崎与五郎(かんざきよごろう)徒目付。享年38。

三村次郎左衛門(みむらじろうざえもん)台所奉行・酒奉行。享年37。

横川勘平(よこかわかんべい)徒目付。享年37。

茅野和助(かやのわすけ)横目付。享年37。

寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)吉田兼亮の足軽。享年83。討ち入り後に脱退。

 

四十七士について見ると,最後の寺坂吉右衛門は討ち入り後に脱退していますから,処分を受けたのは四十六士となります。

 

忠臣蔵赤穂四十七士はとても有名ですが,テレビのドラマや映画で見ていると,ただひとかたまりの集団として僕は捉えすぎていて,このように年齢を入れて見ると,16歳から77歳までと討ち入りのメンバーは孫からお爺さんまでいて,実際の動きはどんなものだったんだろうと考えてしまいました。

 

足軽頭・・・訓練された槍・弓・鉄砲の足軽隊の部将

側用人(そばようにん)・・・大名などのそばに仕え,その家の雑務をとりしきる職

児小姓(こごしょう)頭・・・武家の職名の部将

馬廻(うままわり)・・・騎馬の武士で武芸に秀でたものが集められたエリート

郡(こおり)奉行・・・地方の行政に当り,農民の管理や徴税・訴訟などを扱った職

大目付(おおめつけ)・・・大名の行動を監察し,役人の怠慢を摘発する職

絵図奉行・・・主要な建造物の指図を描く職

使番(つかいばん)・・・伝令や監察、敵軍への使者などを務めた職

浜奉行・・・築堤,塩田の拡張,現場を駆け巡る職

京都留守居番・・・京都に置いた蔵屋敷の責任者

武具奉行・・・武具を管理した職

江戸定府(じょうふ)・・・参勤交代を行わずに江戸に定住する将軍や藩主に仕える者

物頭・・・弓組・鉄砲組などの足軽の頭

勝手方吟味役・・・財政事務の吟味をする職

書物役・・・文庫の管理,図書の収集,分類,整理,保存,調査などの職

郡代・・・郡単位の代官

扶持(ふち)奉行・・・武士の給与に関わる職

中小姓・・・侍と足軽の中間に位置する下級武士で身分的には侍の最下層

札座勘定奉行・・・藩札の発行などの財政を支える職

金奉行・・・金庫の管理・出納をつかさどる職

膳番元方・・・料理を扱う人の胴元職

腰物方(こしものかた)・・・太刀,刀,脇差や献上品の刀剣などをつかさどる職

札座横目・・・藩札の発行の監視職

蔵奉行・・・御米蔵の管理をつかさどった職

徒目付・・・騎乗を許されない下級の武士の監視職

台所奉行・・・台所のことをつかさどる職

酒奉行・・・酒のことをつかさどる職

横目付・・・将士の行動を監視して賞罰を定め不正を摘発する職

 

 

福岡発!その他のトリビアも!

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福岡義士祭の義士とは,赤穂浪士の四十七士を「赤穂義士」と敬意を込めて呼んだことが有名で,赤穂義士の赤穂を省いて福岡義士祭としています。

 

陽流抱え大筒は,福岡藩に伝わる砲術で,藩主黒田如水公が使用した鎧の紋章にちなんで流名がつけられました。陽流抱え大筒は,尾上家に伝わる砲術となります。

 

砲術(ほうじゅつ)とは,火縄銃や大筒,棒火矢などを用いる日本式の伝統的な射撃の仕方のことをいいます。

 

筑前琵琶の演奏例に興味を持たれた方は,ココからご覧になってください。

2017福岡義士祭,神田紅の講談を御覧になりたい方は,ココからどうぞ。

 

 

福岡発!興宗禅寺の紹介と福岡義士祭を中心に紹介しました。

 

 

12月14日の福岡義士祭で陽流抱え大筒の披露や討ち入りそばの振る舞いに立ち会ってみてはいかがでしょうか!?

 

 

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