みな皆くる来る雑記帳

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デーブ・スペクター 子役とは?日本語は?結婚は?abcと仕事も!

2019年9月21日(土)夜7時からテレビ朝日系・FBS福岡放送で放送された 激レアさんを連れてきた スペシャルの中で デーブ・スペクターさん が出演したので調べてみました。

 

デーブ・スペクターさんのことを知らない人はココをご覧になってください。

 

デーブ・スペクター 子役とは?

 

デーブ・スペクターさんはタレントやコメンテーターとして日本で活躍されていますが,出身はアメリカのシカゴです。そして,9歳の時にテレビのCMに出演されていました。子役時代の画像はココで見ることができます。


多い時で数億円稼ぎ出したことがあるということですが,事実関係はわかりません。

 

 

デーブ・スペクター 日本語は?

 

そもそもデーブ・スペクターさんの流暢な日本語は来日してからマスターしたと思っている方も多いかもしれませんが,全然違っていて,小学生の頃から既に日本語がペラペラだったんですね。しかも日本語でダジャレ(ギャグ)まで言うダジャレ王だったんです。しかし当時は誰もわかってくれなかったと思いますね。だってみんな英語の中で日本語でダジャレ(ギャグ)を言ってるわけですから。

 

ところでデーブ・スペクターさんがどうして小学生の頃に日本語がペラペラだったのかというと,デーブ・スペクターさんがシカゴの小学校に通っていた時に転校生として日本人のワタルくんがやって来たのがきっかけでした。ワタルくんに出会ったことで日本語のダジャレ王になったんですね。

 

日本語が喋れなかったデーブ・スペクターさんは,突然日本語を喋ってワタルくんをびっくりさせてやろうと思いました。ある日の放課後,帰り支度をしているワタルくんの背後に近づき,デーブ・スペクターさんは人生で初めての日本語を喋りました。

 

「郵便局はどこですか。」と。

 

この日本語は旅行者が旅で持っていくようなフレーズブックの中にあった言葉で,当時のデーブ・スペクターさんにとっては一番覚えやすい日本語だったわけです。

 

「郵便局はどこですか。」という日本語を聞いたワタルくんは「すごい!君の日本語すごいよ。」と驚いてくれたそうで,この瞬間デーブ・スペクターさんの心の中で何かがはじけて何とも言えない高揚感を感じ,初めて喋った日本語をワタルくんに褒めてもらってとても嬉しくなりました。あくまでもイタズラで言っただけなのにそこまで励ましてくれるならば趣味ホビーとして覚えてみようかと思ったデーブ・スペクターさんは寝ている時間以外は日本語漬け!ジャパニーズハイ状態となって日本語を独学で覚えることにしました。


デーブ・スペクター流日本語の覚え方として小学校5年生の日課としたのは,日本語辞典から気に入った語をランダムに選んで独学で覚えていくというもので,1日のノルマとして50~150単語を覚える,漢字の画数当てクイズを自分で行う,加山雄三を聞いてイントネーションを確認するというものでした。

 

とにかく日本語をめちゃくちゃ覚え,局所とか衛星中継とか実用性のない単語をどんどん吸収していったデーブ・スペクターさんは物足りなさを感じて日本人が通う日本語学校に趣味で入学し,通信簿で常にオールA,年間最優秀成績賞を受賞するなど常にトップで他の生徒が誰も卒業できない中,唯一卒業してシカゴの怪童として一躍有名人となります。加山雄三さんの名前を勝手にとってスペクター雄三と名乗っていました。

 

漫画や青大将の映画などから学ランに興味を持ち,日本のペンフレンドに頼んで日本の学ランを取り寄せてからは,学ランを着て家のまわりを一周したりシカゴの住宅街を歩いたりしてシカゴではさらに有名人となり,日本にまつわる雑誌とか漫画が次々と自宅に集まってきます。

 

送られて来たものの中で漫画のおそ松くんのダジャレ(ギャグ)が相当面白かったそうで,おそ松くんを読んでからは毎日,日本語のダジャレを考えるようになったそうです。

 

 

デーブ・スペクター 結婚は?

 

デーブ・スペクターさんは大学を卒業した後はロサンゼルスのABCテレビ放送作家・プロデューサーとして働くようになりました。そしてある日,ロサンゼルスのホテルで,ある女性に一目惚れをしました。ホテルのフロントで働いていた青木京子さんです。

 

人生で経験したことのない恋心を抱いたデーブ・スペクターさんは必死に覚えた流暢な日本語で人生初のナンパに挑戦します。「桜田淳子,最高だよね!」,「加山雄三,どう思う?」,「今,畳一枚いくらかな?」といきなり自分のフィールドの話題で京子さんに話しかけ,連絡先を交換してからは毎日電話をかけ,デートに誘います。京子さんはというと,あまりにも流暢な日本語と変な話題な為,怪しいという不信感しか持てず,10回くらいデートに誘われましたが断り続け,最後は断る理由が見つからなくなり,一回だけデートしようということになります。

 

デーブ・スペクターさんはダメ元でアタックし続けていましたが,1回のデートをきっかけにして次第に惹かれ合い,付き合うようになって結婚するまでに至りました。

 

 

デーブ・スペクター abcも!

 

デーブ・スペクターさんは結婚してまもなくしてアメリABCテレビのプロデューサーとして日本のドキュメンタリー番組を作るために来日します。東京のテレビ局で仕事をする機会が増え,ある時テレビ局内であるものを発見します。発見したものは,倉庫に眠っていた放送済のテープでした。

 

テープを見てデーブ・スペクターさんはめちゃくちゃ面白いと思い,アメリカで売れるのじゃないかと考え,すぐさまABCテレビに連絡を取り,日本の番組を買いたいが予算はどのくらいあるかと相談したところ,ABCテレビから返ってきた返事は使いたい放題だよというものでした。早速番組を購入することにしたデーブ・スペクターさんでしたが,ここで一つ問題が生じます。

 

実は仕事のやり取りをする上で日本人とのやり取りをすることが多くなったデーブ・スペクターなんですが,日本語が流暢すぎてアメリカ人だと思ってくれなくなり,完全に怪しい人となってしまったわけです。しかもデーブ・スペクターさんは黒髪だったのでなおさらアメリカ人に見えません。

 

そして逆に怪しまれてしまったことを京子さんに相談したところ,京子さんはアメリカ人らしくするために黒だった髪を金髪にするようにアドバイスし,これを契機に怪しさを払拭することに成功します。

 

デーブ・スペクターさんが買い付けた日本の番組は,風雲たけし城,ザ・ガマン,浅草橋ヤング洋品店NHK大河ドラマでしたが,アメリカで放送したところ,全米で大ウケとなり,ABCテレビからもっと面白いものをよこせと注文が錯綜することになります。

 

なぜ全米で大ウケしたかといいますと,日本人は当時サラリーマンとかまじめだとかあまり遊ばない,はじけないというイメージを持たれていたのですが,バラエティだけははじけまくっていてギャップが大きく皆びっくりしたわけです。

 

ザ・ガマンの場合はあまりにも面白くて,向こうのトークショーの司会者が日本で番組を作っている人をアメリカに連れて来いということだったので連れて行ったというエピソードもありました。

 

デーブ・スペクターさんはテレビ局から日本の番組を買い取って全米に放送しただけでなく,1980年代に全米で放送されていた朝のワイドショー番組HOME SHOW(ホームショー)においてアメリカに無かった日本の製品を紹介しました。

 

代表的だったのが温水洗浄便座でした。その時の番組の模様です。「これは未来のトイレです。日本の企業が作りました。これは全てリモコン操作できます。今ビデがここから出てきますよ。あんなに水が出てきちゃってどうなるんだい?」初めて見る機能にスタジオは大興奮。これがきっかけで全米に知られ,温水洗浄便座ブームを引き起こしました。

 

 

デーブ・スペクター 仕事も!

 

デーブ・スペクターさんはその後流暢な日本語と個性的なキャラが受けて日本の芸能界でブレークを果たします。「その戦車,汚いから洗車に持ってけ!」といったダジャレ(ギャグ)まくりでした。

 

しかしこの後,流暢な日本語とコメント力を買われてデーブ・スペクターさんは朝まで生テレビという番組に出演することになり,番組の中でアメリカの話題について日本人17人対アメリカ人1人という状況で17人から容赦ない質問やコメントの集中攻撃を受けボコボコにされてしまいます。

 

朝生でのショックがきっかけでデーブ・スペクターさんは芸能界を引退し帰国を決意します。

 

朝生の中で「日本が嫌いならアメリカに帰れ」みたいなことを言われます。日本が嫌いじゃないから日本に来て,日本が好きだから日本人と結婚しているのに,全く違う反対の方にとられていたので心が折れたわけです。小さい時から日本語を習って日本語が大好きで日本人と結婚したというのに日本から出て行けと言われショックが大きすぎたわけです。


そんなデーブ・スペクターさんでしたが,奥さんの京子さんからのアドバイスで芸能界の引退とアメリカへの帰国を思い止まらせます。

 

その京子さんのアドバイスは,「まだ徹子の部屋に出てないから,今,帰れないでしょ!?」というものでした。「出たら,帰りましょう!?」とハードルを上げ,次はこの番組に,次はあの番組に出てないからと京子さんからハッパをかけられ,デーブ・スペクターさんは達成するまではと,その時迷っている気持ちが吹っ飛んで,結局朝まで生テレビを3年間集中攻撃を受け続けながらも続け,今のスタイル,物怖じしないストロングスタイルを身につけ,史上最強の外国人タレントへと成長されたわけです。

 

デーブ・スペクターさんはタレントやコメンテーターとして大活躍されていますが,仕事はこれだけでなく,海外の特ダネ映像や海外セレブのスクープ映像を日本のメディアへ販売する会社も運営されています。

 

スペクター・コミュニケーションズ(Spector Communications)という会社で,そのホームページはココから見ることができます。

 

またデーブ・スペクターさんはダジャレ(ギャグ)を含めてさまざまな事を毎日のようにツイッターで発信されており,このツイッターココから見ることができます。

 

デーブ・スペクターさんは小学生の時のワタルくんとの出会いをきっかけとして日本語を独学で学びはじめ今日のような流暢な日本語と個性的なキャラでタレントやコメンテーターとして活動し実業家としても活躍されていますが,今後どのような史上最強外国人として進まれるのでしょうか?大注目です。